バイエル

ここは練習場

DVDを観終えたあと

ただの涙を流すきみは

 

1枚 ティッシュ

静かに引き抜く

言葉は跳ねて

喋るそばから 言葉たちは

ぶつかり合い 跳ねて 散らばる

 

自由の身を証明するように

 

私はただ見届ける

去りゆく姿が 見えなくなるまで

青汁

電子レンジの上に

 

青汁の箱が雑に積みあがっている

 

一番上の箱が 飲みかけのまま

 

外食ばかりで楽しい毎日ではあるけれど

瀬戸田レモンのパウンドケーキ

GWに瀬戸内へ行った際、瀬戸田レモンを買ってきた。

これでレモンパウンドケーキを作ろうという算段である。

 

久しぶりのお菓子作りだったため、オーブンの温度が上がらないこととか、パウンド型の熱効率があまりよくないこととかいろいろ忘れていた。

 

そんなわけで1回目のパウンドケーキ作りは失敗に終わった。

今日リベンジすべく、2回目を焼く。

まだ切ってないのできれいに焼けてるかはわからない。

明日を楽しみに今日は寝よう。

怪しげなセミナーに誘われました

 友人からとあるセミナーに誘われたんだけど、ネットで調べてみたらなんだか怪しげなものでした。個人の考えを○○学と名付けて権威があるように見せかけたり、この世の現象すべてを○○で説明できると言っていたり、なんだか新興宗教的な浅さを感じてしまった。

 友人が言うにはそのセミナー主催者は何でも知っていて、何でも答えてくれるらしい。でも私はそのことに価値を感じなかった。「私は何でも知っている」とか本気で言う人はたいていつまらない答えしか持ってないしつまらない人間だと思う。

 今、ふと思い浮かんだのは答えってそんなに価値のあるものなのかなってこと。あれこれやって答えを探すこと自体に一番価値があって、一番面白いんじゃないかと。

 そんなわけでセミナーは遠慮することにした。ただそれは私が人を盲信したりしない賢い人間であるということ証明したいからではなく、単になんかセンスが合わないから行かないってことに尽きる。ボルヘスの講義録とか内容まるで理解してないけど雰囲気がとても好きで、講義今でもあるんなら喜んで行くし言うことなんでも聞くと思う。

ケン・リュウ短編傑作集『紙の動物園』

ケン・リュウ短編傑作集『紙の動物園』

紙の動物園 (ケン・リュウ短篇傑作集1)

 

「紙の動物園」

紙の動物たちがじゃれついたり噛みついたりいきいき動く様子が、とても愛おしい。主人公の母は中国の貧農出身で、英語を話せず、思春期になるとそのことを疎ましく感じるようになるのだか、そういう気持ちは分かる。私も昔、母の不器用さに本気でいらいらしてたりした。若い時は人にどう思われるかばかり気になり、不格好なところを見られるのが命取りのように感じられる。それは経験のなさや度量の狭さからくるように思う。主人公は母を失ってから、そうした拒絶が母にとってどれだけのものだったかを知る。

 

「月へ」

 月上世界の物語パートと現実世界の生々しい描写の対比が胸に刺さる。亡命を受け入れてもらうために憐れみを誘うような嘘をついていたという場面は嫌悪感を誘うが、話の最後にはそうさせてしまっているこちら側を問うてくる。現実の醜い嘘は、純粋な願いからきていることを月上世界の物語を並行させることによって描いてる。

自分が解放される時間

 京王線をご存じでしょうか。そう、高尾山行くときに乗る電車。それに乗って私は街に出るんです。高尾山とは逆方向に。明大前で乗り換えて。あ、こういう歌詞の曲ありましたね。

 仕事帰り、渋谷に繰り出します。用事もなく、あてもなくふらふらと。と言っても結局行くとこは毎回同じで、渋谷のMODIっていう元マルイのビルにはいっているH&MBooksへ。最近はアイドルのイベント会場みたいになってきている本屋さん。3フロアあるすべての階でイベントをやっていて、フロアごとに集まる人が違っていて楽しい。不思議な空間です。

 アイドルの歌声を遠くに聞きながら、本棚の間をぶらぶらします。本棚に収まっている、今は誰にも読まれていない本という静的なものと、イベントという今まさに何かが起きている現場、その対比が何とも言えず好きです。

 そういう場所にいると自分が宙に浮いたような感覚になります。誰からも認識されず、ひっそりと音を聞いてる自分は、存在するような、存在しないような。

 自分がいなくてもいいという事実を思うと、なんだか解放された気分になります。そういう時間が、私にとっては大切な時間です。